2005-11-09

議論しようがしまいが変わらない

消したい人間は本気の行動をする

 リンクの自由を掲げる人々が、しなくていい議論を起こし、無断リンク禁止派を攻撃し、追い詰めようとする動機は何か? それは多くの場合、私の見るところ、無断リンク禁止派と変わらぬ感情的なものでしかないように思われる。すなわち、無断リンク禁止派が無断リンクを嫌がることが、彼らにとって不満なのである。無断リンクを禁止したいと思う人々の価値観、心のありようを、彼らは許せないと思い、「消えてなくなればいいのに」などと思っているのだ。

 有無を言わさずジェノサイドしたいならしていると思う。そう言う気持ちがあっても多少なりとも「ジェノサイドは忍びない」と思う方は議論で遠吠えても、行動をしないものです。

 私の場合は「ジェノサイドしたい」けれど「多少の情」があるから議論参加をします。そうして、可能な限り私の考えを受け取って欲しいから書いていきます。ジェノサイド運動がおきないのは、そうすると忍びないと思う方がいるからでもあるからだと思う。

 この記事を書く前、最初に攻撃されたくないから議論をするのだと思えました。しかし、本当にジェノサイドしたいなら行動する方が安上がりです。私は確かにジェノサイド精神を保有します。攻撃しないのは、どこかそうすると忍びない気持ちが湧くからでしょう。実はアレだけ参照させろと書いた記事を投げたのに、本当に参照したいサイトは投げてません。忍びないからです。無論、保身だからでもあるしょうが、そう言う相手の為に議論することすら私には嫌悪対象。議論する前に「なんであいつの為にリンク禁止を受理しなきゃなんないのだ」と思う。では何故するのか。嫌悪の気持ちと同程度「リンクしたらかわいそうだ」と思うからです。そんだけ。

 議論での反論が怖くないなら私はオノ片手に突っ走って戦争します。戦争での攻撃も怖くないから。ただなんでそうしないのか矛盾を抱えている。いつも書く通り、そう言う人間もいて欲しいと望む立場だからか。

補記

 本質的に人間は自由です。しかし当然、自由と自由は衝突します。「ある自由を抑圧する自由」があるためです。基本的人権を尊重する人々が多数派を構成する民主主義社会において、この問題は多数派による「数の暴力」が解決します。ではそのような社会において、なぜ少数派への攻撃・抑圧が現状程度にとどまっているのか。それは、少数派にいくらかの共感・同情を寄せ、また自分が常に多数派の価値観に共鳴できるとは限らないと考える人が多いためでしょう。

 この言葉。まんま返します。現状況のまま「無断リンクしても何ら問題ない」と言う側の全面勝利で議論決着しても、多分私はリンクできないと思う。理由はもう書いた通り。

 そう言うわけで今回で終わりについたコメント(PC)のように、馬鹿馬鹿しくて下らないことは今後も続くと思う。つまり、正当性があってもできない自分が哀しいから吐きだしているのだと、もうこの記事で明らかなのだから。

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posted by yosiyama at 15:37 | TrackBack(0) | リンクフリー

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