2006-01-10

うつ病論争に関する記事

心身の管理はちゃんとしよう

 いきなり私見を記します。

 私は「病気」と言われるものには相応の根拠が存在すると見ています。だから「病気」と称されるものに存在否定してやろうとは考えない。ついでに言えば、これからも病名はどんどん増えていくのだろうから、病気の疑いがあるものやそれらしいものには気を付けようよと私は思う。別に「心身の不具合を「病気」という便利ワードに責任転嫁してもよい」と言うのではなく、「不調の原因を解決したりダメージを受け流す術はどこかで必要でしょうよ」と言いたい。病人(或いはそれに類する人間)が「優しくしろ」と過度に言うのは私もどーかと思う。ただ、だからといって現場でガンガン働かせるのもどーかと思うよ、というのが私の現時点の感想。

うつ病論争

 ゆがんだはしごさんが書いた記事(PC)が一部で反響のよう。これらを全部読んだわけではないけれど、後で読むかも知れないから纏めてみる。冒頭の文章はごく僅かの記事を読んで書いたものではあるけれど、ちゃんと的は射てある……はず(以下は恒例、PC用)。

heartbreaking
Niemals-Gasse

 その他幾つか見つけた関連記事。

rangelife
naohaqの日記
大澤真幸萌え(おまえ)
Caramel Complex

 こちらは番外編。

男の魂に火をつけろ!

 大部分の話はheartbreakingの各記事コメント欄を基軸に動いています。論争は年を跨いで行っているようで読む量は少し多いですが、この話は面白いのでちゃんと改めて読もうと思う。

幾つかの無責任な雑感を呟く

 「原因不明」だから「ない」と見なしたり、「未定義」だから「存在しない」と言う考えもどうだろうか。「これから定義されるかも知れない」と考えないとできない事もある。これからの定義を行うために、わざわざ「存在しないと思うものを検証する」という面倒な事をするのかどうか考えてみれば良い。信じたいものしか信じない人間であるが、時には信じられないものを信じてみるという努力はできないのか。

 不快は目の前にある。ただ、「不快だから」と言って接しなかったり潰したりするのもどうか。不快なもの。信じてはならないもの。それを敢えて信じてみることによって発見することもあると私は思う――まあ、これは信じたい物を信じている人間の話だから、私は信じたいものだけ信じる大切さも言った方が良いのでしょうがね。

 まあ、「原因不明」だから「ない」と見なしたりするのは、面倒を嫌っているからなんでしょうね。面倒を省いて気楽に生きる。そうして「信じたいものしか信じない」という選択をする。そう言う人間がいても、別に良い。視野が狭くとも、当人は困らないのだし、外を知ってもメリットがないならばそういう選択をしても良いか。そんな風に見るとゆがんだはしごさんの立場も分からなくはない。

posted by yosiyama at 21:35 | TrackBack(0) | 書き散らし記事

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