2005-12-06

無邪気

無邪気なブロガーの悪意のないトラックバック

 人は自分が使いやすいように道具を使う。この無邪気さを微笑ましく見たいですが、他方では迷惑がられるのは必至。無断リンク論争もそうですが、無邪気で悪意のない人々は必ず他方で迷惑がられる。その事を理解して自説を書いて欲しい(自戒を含めて)。

 私がYahoo!ブログ界隈や楽天日記界隈や携帯サイト界隈と付き合いたくない理由は、お友達感覚でブログにやってきて騒がれたくないから。その数の力に圧倒され潰しようのない集団に対して、私は自分の言える事だけ言いつつひっそりと受忍しようと思う。自分の言い分をごねまくれば勝てると言う次元の話ではない。この手の話に対して私はもう諦めました。

無邪気なコメンテーターの悪意のないコメント

 当然、無邪気に嘲笑っている人に対しても同じ事を抱く。無邪気にブックマークすることの自由を説くならば、当然無邪気にトラックバックを乱発する人をも認めなくてはならない。物事の本質はどちらも同じなのだと絶望する。だから私は自らの行いを棚の上に置いて、おいそれと笑うことが難しい立場にいる事を日々実感する。

無邪気な批判コメントが無邪気な姿勢を壊す

 仮に無邪気なトラックバックが否定されるべきならば、当然無邪気なネガティブコメントも否定しろよと思う。理想論ではなく。啓蒙して正しい価値観を設定できました。はい、めでたしめでたし……そんな社会じゃないんだよと思う。

 批判は確かに自由です(大事です)。だが無邪気までも批判すべきだったのか。一つの文化産物として容認できないのか。受ける方が嫌だからダメならばリンクもコメントもブックマークもみんなダメになってしまう。我慢は誰かがしなければならない。何故誰一人我慢しないのか不思議でならない。ある程度の譲歩は必要だと思う。そのズレは結局どこに行っても同じなのかとやるせなくなる。

関連記事

posted by yosiyama at 19:42 | TrackBack(0) | 書き散らし記事

この記事へのトラックバック一覧

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。